演劇ユニットWillow's
『私はどこから来たのか 私は何者か 私はどこへ行くのか』講評
堀川炎
よく知った稽古場風景のインプロ会話劇。演技もインプロからつくっているということもあり、相槌も多くセリフ同士が重なり非常に自然である。音響の入れ方もよかった。構成台本に書いてある内容と、実際の発話に若干内容の誤差があり、できることなら今公演の元となる「ジュリアス・シーザー」と、記されている世界大戦 ・世界経済・貿易史・宗教史・哲学など、深堀りしてほしかった。これについては上演が構成台本の期待値を上回らなかったように感じる。そして語る意図があるのならば、インプロではなく、脚本として考察して上演したほうがより密度の濃いものになったのではないかと推察する。二人の登場人物に共感し、また言葉で表現できないセンスが感じたられた。次回作に期待を寄せる。
池亀三太
現代を生きる若者とシェイクスピア作品の登場人物には容易に分かり会えない距離感があると思うが、それをどう理解し距離を詰めていくのか、その姿勢が素晴らしかった。
1回目の台詞の稽古の直後に「なんかふわふわしてる」と認めるところに嘘がなく、その埋めようとするのに埋まらない感じがドラマチックで演劇的だった。
現代の日本人の若者がいかにしてブルータスの感情に辿り着けるのか、何気ない日常会話や過去の体験談、現実のニュースの断片からブルータスを演じる俳優自身に落とし込もうとする段取りの踏み方が惚れ惚れした。
とてもクリエイティブな稽古場が描かれていて、特に事件や争いが起こることもなく淡々と過ぎていくが、ドラマチックな時間であったし、紛れもなく演劇作品だった。
「それだけ勉強してどれだけお客さんに伝わるか」
「でもそれくらいやんないとお客さんに観せられない」という最後の言葉のセリフが痺れた。